船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

「佳作」のこと〜断じる快感〜「個人的には」

 

「佳作」という言葉の使用についてtwitterの(自分の)TLがずいぶんとにぎやかな時が2、3日前にあり、落ち着いた頃になって、もしくはもう皆の関心が薄れた頃になって、さて、あれはなんだったのだろうか、と。

 

 

論争に加わる気はないのだけども、また、その問題についてはっきりとした見解があるのでもないけども、なぜそこに自分は引っかかったのかな、という疑問だけが残っていて、それをこうしてつらつらブログに打ち込みながら考えている。

 

考えた結果をばんと発表する場にはならない。

 

表明したい確固とした意見があるのでもない。

 

「なんでここに引っかかるのかな?」という自身の疑問を掘り下げられればよい、というのがこのブログの方向性なのではないか、と思っている。

 

と、こういうようにだらしなくはずれていく。

 

「佳作」とは公募などで審査員が与える賞の名称であって、仮にもプロアマ問わず批評家を自称するような人たちが作品を鑑賞して、それが「佳作」であると言うのはずいぶんと高みから見下したような物言いではないか。何様のつもりなんだろうか。

 

というようなことで安易に「佳作」を用いる人を鼻持ちならないと感じる人たちと、「佳作」というのは良い作品というような意味で使っているのでそんなに目を吊り上げなくてもよいのでは?という人たちと、その周辺で「私は使わないけども、文脈の中で"よい"という意味で使われてれば別段気にならない」など濃淡様々に。

いろんな意見、というほどたくさんでもないが拝見して、ああ、自分はあまり意識せずに使っていたな、恐らくそう多くは使ってないだろうが、確かに使っていたな、とまずは自らを省みた。

今は映画のことを念頭に置いてる。

どんなにひどいと思われる作品でも、そこに関わった人たちが様々に試行錯誤し、思いの丈をぶつけて作っているのだから、観るべきとこは必ずある。なので、Twitterだとかブログ、鑑賞メーターに感想のようなものを記す際には「駄作」と貶すようなものは書かない、というのをデフォルトにしている。

じゃあ、全てが見所のある「傑作」かというと、そう極端なものでもない。

この「駄作」と「傑作」の中間が広大。多分、いかにしてこういう極端な断定をせずに広大な中間を、事実に当たって、言葉を駆使して、その人なりの視点で表現するのがプロの批評家の仕事なんだろう。

ただ、自分のような素人はつい怠けて、その広大な中間を薄目に見て、腕組みして考えてる振りして、「うん、佳作」などと誤魔化してしまう。悪くはないんだもん、でも「傑作」かといったらそうでもない。という意味合い。

と、こう書いてみると、なんて高みから、偉そうに、と我ながら嫌になる。

「佳作」の使用について鼻持ちならないと感じる人の感じ方はこれと同じようなものだろうか。

自分ではこういう使い方してたかもしれないな、確かにこれは嫌だな、とそこで引っかかった訳だ。

 

例えばおすぎだとか今ならLILICO(ってこういう表記でよいのかな?)が「好き」「嫌い」で語るのは、これはこれで持ち味にまで、つまり芸にまでなっているのであれば、構わないと思う。

ただこれが、「好き」「嫌い」でだけ語ってればよいところ、色気づいて「佳作」だとか「傑作」「駄作」でもよいけど、評価を与えるような立場になってしまうと危険だ。

これはほんとに、ちょっと映画が好きになったり、他人より多く観てると意識し始めると、自然にそっちへ流れてしまうんじゃないか。

しかもね、友達と集まって言い合ってる分には構わないだろうけど、これが今では簡単にSNSやブログなどで公開されてしまう。いやむしろ、進んで公開してしまう。

それでプロの批評家と同じ土俵に上がれたと錯覚してしまうような、恥ずかしい過ちを犯していはしないか。無意識でした、とはいえ、やはりそこには「佳作」と断じることのえも言われぬ快感が潜んでいたんじゃないか。

などと、これはあくまで我が身を省みて思った次第である。

 

で、そう言われてみると、「傑作」なんてのもつい使ってやしないか。

要は怠惰なんだろう。

色々と面白い理由はある。だけども、まあ、なんだかんだ言うのも煩わしい、「傑作」とだけ言っておこう、というような怠惰。

自分のことである。

 

結局、「佳作」問題に引っかかってしまったのは、普段は猫を被ってる自分の鼻持ちならなさを指摘されたように感じたんだろう。

すっと足払いをかけられたように。

勝手に転倒して必要以上に転げてるようだ。

 

「佳作」に関連するようでまた別の言葉、言い方でよく気になるのは、これも映画の感想など書く時につい出てしまう「個人的に」という表現。

これも自分で使ってしまいながら、なにか言い訳めいていて気が咎める。

別にそう思うならそう思った、でいい。のに、最初から「いやいや、みんなはそう思わないのでしょうが、私個人的には、そう思うというだけの話であって、まあまあ穏やかに」というエクスキューズを入れてるようで。

もっと堂々と間違えたり、見当はずれを言ったりしたいものだと常々思う。

などとつらつら…