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船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

マフィンをどう食べるか?〜「ゼロからの脚本術」〜ケーキを保護するそれ

朝食にチョコチップマフィンを食べていて、ふと、マフィンはなぜこんなに食べづらい形状なのかと思う。
ドーム型のどこに歯を当てたらいいのかよくわからない。
いきなりかぶりつかないで、少しずつちぎっては食べるのがよいのか。
それでは指先がベタベタになる。
いや、マフィンを食べるのに指先をベタベタにさせないことの方が難しい。そもそもまわりを包んでいる紙を取り外すのも面倒、だし、その包み紙にマフィンがくっついてしまうのが惜しい。
あの包み紙にくっついたマフィンの欠片を、カップアイスのふたを舐めるように食べた方がよいのか。

自分が引っかかるもの、惹かれるものを、「それはなぜか?」というとこから始めて自分を掘り下げていく、その先に何があるのかわからないが、それが何か知る手助けになれば、というのがこのブログを続ける、言うなれば目的のようなものである。

そんなものを公開しなくてもいい気がするが、恥ずかしさに耐える練習も兼ねる、という意味合いもある。
また、公けに堂々と間違える練習も。
何度となくこうして足元を確認するかもしれない。そうしながら、まずは続けることを第一に考えてる。

泊貴洋編「ゼロからの脚本術」

ゼロからの脚本術―10人の映画監督・脚本家のプロット論

という本を読んでいる。
2000年代から頭角を表した、人気脚本家・映画監督らに脚本の書き方をインタビューしたものをまとめている。
まだ読み途中だがなかなか面白い。
脚本を書くにあたって具体的に参考になるというより、気持ちとして「ああ、こんなに自由にやっていいのだ」という開放感を感じたり、意欲を刺激される。
影響を受けやすい質なので、刺激を受けるとすぐにものの見方、見え方が変わってくる。

冒頭のマフィンの件も、今までも何回となくマフィンを食べてたはずなのに、そのことを意識するようなことがなかったけども、あらためて「食べづらい」と気付く。これも「ゼロからの脚本術」の影響なのである。
周囲をいかに雑に見過ごしてるか。
頭がいかに固くなっているか。
ものを見ないようにしているか。
ハッとするのだ。

ショートケーキの断面を保護してる透明のセロファンの巻きスカートみたいのが、あれなんて名前なんだろうか、道に落ちている。
ケーキはない。それだけ。近くにケーキ屋もない。環七沿いのマンションの前の道である。
誰かが買ったケーキを取り出して歩きながら食べでもしたのか、マンションの一室から風かなにかの拍子で落ちてきたのか。
まあ、そんなストーリーを考えてもいいが、道に落ちてるケーキを保護してる透明のそれ、バスやらトラックやらの走る道の脇に落ちてるそれ、通勤時間に出くわしたそれ。
場所、タイミング(時間)、意外なもの。
その印象に力づけられたりもする。

こういう発見を最近忘れてたな、ということを「ゼロからの脚本術」は思い出させてくれた。