船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

クリップは忍び込む~ジョアン・ペドロ・ロドリゲス~夢うつつに映画を観る

朝、仕事用のズボンに履き替えてポケットに手を突っ込むと、クリップが一つ二つ入っていることがある。通勤用のリュックのポケットにも見つけたりする。ペンケースにもやっぱり一つ二つ、携帯してるというのでもなく、ただどこからか沸いた虫みたいに入ってる。これが小銭なら、昼食一日分にはなりそうなもの。

クリップはこっそり忍び込む。

甘いものを見つけ出す蟻のように。
マグネット付きのクリップホルダーに群がる蟻クリップ。
整列、進め、紙を束ねろ。
 
ちょうど一週間前、池袋は新文芸座にジョアン・ペドロ・ロドリゲスのオールナイト上映会へ足を運んだ。ポルトガル出身の監督。寡作である。長く助監督を務め、2000年に長編デビューし、2013年現在で4本の長編を監督している。他に短編もちらほら。
日本に紹介されるのは恐らく今回が初めてで、レトロスペクティブという形で長編すべてを含むほとんどの監督作が公開される。
オールナイトでのプログラムは、長編が3本、「オデット」「男として死ぬ」「追憶のマカオ」、短編も3本。
 
ジョアン・ペドロ・ロドリゲスのことは実は何も知らなかったのだけど、今回このレトロスペクティブを企画したDotDashを主催する映画批評家大寺眞輔氏のtwitterを介して、む、これは面白そうだと気になり、足を運んだ次第。
アテネフランセや神奈川での上映は逃してしまったので、残るチャンスは新文芸座のオールナイトしかない。学生の時以来のオールナイト。起きてられるかどうかが問題だ。が、そこはどうとでもなれ、と。
 
で、観た感想をつらつらと以下。
「オデット」、恋人を事故で失って絶望するゲイの男と、子どもが欲しいあまりに偽妊娠症になった女と、事故で死んだ恋人の男の幽霊との、奇怪で変態的な純愛メロドラマ。と、こう一文で表そうとすると、なにやらこぼれおちるものが多過ぎる。
監督自身がゲイだというのはオールナイトのトークショーで初めて知ったのだが、そういうゲイ映画というフィルターだけで観てしまうにはあまりに勿体ない。
とにかく、とんでもなく変態なメロドラマ。
大寺眞輔氏と篠崎誠監督とのトークショーで、J・P・ロドリゲス作品を鑑賞する際のキーワードをいろいろインプットしたので、「なるほど、まさかのこの雨」「ここで、この風」などと夢うつつに観る。
オープニングタイトルのあとにスーパーをローラースケートで滑走するオデットが出てくるあたりもハッとするし、オデットが病院を抜け出す窓もこれまたいい窓。
 
「男として死ぬ」は、ドラァグクイーンとして生きるひとりの中年男の恋と仕事、つまり人生が哀感たっぷりに描かれる。
「オデット」ほど変態度が高くない分、これはけっこう誰が見ても泣ける作品なのでは。詰めたシリコンが乳首から出てくる痛さ、哀しさ。
 
そろそろ体力も限界。睡魔の攻撃がいや増す。
短編3本はほとんど夢の中。
 
最後に「追憶のマカオ」、マカオのドキュメンタリーとして撮られた映像素材を編集の技で、フィルムノワール調にアレンジしてしまったという異色作。
この虚実皮膜の間を感じさせる作品は、夜明けの時間にうつらうつらしながら観るのに、実はもってこいだったのではないか。
なんてことない町の映像。ナレーションがかぶる。銃声も聞こえたような。
隣に座っていた客はすでにいない。始発はもう出てるのだろうか。
マカオなのか、その前に観た「紅い夜明け」の中国のマーケットなのか、よくわからない。
 
個人的な体験だけども、オールナイトで夢のように観た作品で衝撃を受けたものにロベール・アンリコの「ふくろうの河」がある。もう、20年近く前。処刑を免れたと思って家族の元へ走りに走ってようやくたどり着いた男を待っていたものは…
後にDVDで見直したら、それほど衝撃でもなかったのに複雑な思いをした。
あれはやはり体力の限界、夢かうつつか、という特殊な状態で観たことがよい方へ作用したのだろう。
 
映画を観ながら眠ってしまう、眠ってはだめだと思いつつも、眠ってしまう、贅沢な。
こんな鑑賞法もよいものだ。
 

DotDash
 
ジョアン・ペドロ・ロドリゲス レトロスペクティブ
 
「オデット」のオープニングシーン
 
「ふくろうの河」のオープニングシーン