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船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

「今年も半分が終わりか…」〜「20世紀アメリカ短篇選」〜スノッブからは逃れられない

そうか、「今年も半分が終わりか…」とぼやかなくちゃいけない時期になっていた。
今年はジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」を読む、という目標を立てていたが、いまだ読み始めるどころか、手元に当の本すらない状況。
そろそろ、まずは購入するところから踏み出そう、と思う。

いろいろと寄り道してしまう。

アメリカ文学なんて読むつもりじゃなかったのに、1920年代に興味を持ったところから、どういうわけか「20世紀アメリカ短篇選(上)(下)」(岩波文庫)へ流れ着いた。
はじめに(下)を読み、今、(上)を読み始めている。
順番が逆転したのは、(下)に読みたい作家の作品が多かったから。
(上)は知らない作家が多い。
イーディス・ウォートンなんてまるで知らなかった。
代表作に「エイジ・オブ・イノセンス」。スコセッシが映画化していた。そんなことも初めて知る。
短篇選に収録されてるのは「ローマ熱」という作品。
20年以上も親交のある2人の女の間にあった過去の秘密が暴かれる。
観光に訪れていたローマの古代遺跡をバックに、うわべだけの付き合いを続けてきた2人の女の心理戦。恐ろしい。
待てよ、そんな話だったかな?
ローマの街だったかな?

すぐに忘れてしまう。

しかし、まあ、短篇らしいきれいなオチ。文春文庫の「厭な物語」に入っててもおかしくない。

イーディス・ウォートンではなく、(下)に収録されていた、ジョン・バースやドナルド・バーセルミ、アップダイクのことをちょっと考えていたんだった。

いわゆるポスト・モダン文学と言われる作家たち。
ポスト・モダン文学を正確に理解しているわけではない。
リアリズムや合理的なストーリーテリングをことごとく拒否するくらいのイメージしか持っていない。
Wikipediaのこの解説ポストモダン文学 - Wikipediaを読むと、ポスト・モダン文学は好みのはずなのだが、実際読んでみると、どうも頭でっかちすぎてスッと入ってこない。
これを「好きだ」と言って読むのは自分自身にどこか欺瞞を感じる。

高校生の頃、鞄にコクトーボードレールの詩集を忍ばせて、通学の電車で開いたりしてたあのいかにもスノッブな行為と大差ない。
コクトーのマルチぶりに憧れてた時期も少しだけあった。
今はそうでもない。
しかし、あれから成長していない。

ジョン・バースの「暗夜海中の旅」なんてマスターベーション的な作品にしか思えなかった。良くも悪くも。

フィネガンズ・ウェイク」を読みたいのも一種のポーズでしかないかも知れない。文学好き気取り。読書家気取り。
「次は「失われた時を求めて」を読まないと」ということをいつまでも言い続けるかも知れない。

スノッブからは逃れられない。
スノッブですらない。

文学的オーナメント。
ぶらぶら垂れ下がってる。