船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

引き続き「飛び出す悪魔のいけにえ」〜リメイク版「死霊のはらわた」も〜オリジナルの枷についてなど

「飛び出す悪魔のいけにえ」観た直後の、どうも、こうスッキリとしない感じは、思い返せば「死霊のはらわた」のリメイク版を観たあとの感じと通ずるものがあったな、ということを昨日のブログでは書き落としていた。

オリジナル「死霊のはらわた」もホラー映画にスプラッターというサブジャンルを確立したというエポックメイキングな作品で、熱狂的なファンが多い、ということは一応知っている。
かくいう自分も、ホラー映画が実は笑えるものなのだ、コメディと背中合わせなのだ、というのに気付いたのは、「死霊のはらわた」シリーズのおかげだと思っている。し、サム・ライミといえば、「スパイダーマン」シリーズもいいけど、やっぱり「死霊のはらわた」シリーズを推したい方である。
ゆえに公開前はそれなりに期待感もありつつ、こうした殿堂入りを果たしてるような作品のリメイクには付きもののある種の不安感も影のようにあり、とはいえ、まあ、それほどナーバスになることもなく気楽に観に行ったのだけども、やっぱり、どうもスッキリしなかった…

これは観る側が、勝手にオリジナルを基準にして評価しようとしてるからなんだろうか?
それは承知で製作サイドも、新しい技術と新しい感性とを注ぎ込んで作るのだろうけども、やはり、もう少し観る側が寛容になってもいいかな、という気もする。
僕は愛情が薄いんだろう。
過度にオリジナル信仰というのがない。
なので、正直、「飛び出す悪魔のいけにえ」もリメイク版「死霊のはらわた」も、それほどひどいとは思わない。
ただ、スッキリしないのは事実で、これはどこか、オリジナルという光源からくる光線に目を眩まされてるのかもしれない。

悪魔のいけにえ」の、狂った一家が若者を殺しまくるという筋も、「死霊のはらわた」の、森の中の一軒家に集った若者が殺されまくるという筋も、いまやホラー映画では定番の型になっているのだし、なにもあえてオリジナルの冠を戴いて、リメイクや続編とする価値はあるのだろうか?
あるんだろう。だって、一定の評価を得ている作品がリメイクされますよ、というアナウンスはやはり興味を惹かれるものがある。ネームバリューである程度は、製作資金も観客も見込みが立つのかも知れない。いや、内部事情はよく知らないが。

例によってごちゃごちゃしてきた。
「飛び出す悪魔のいけにえ」もリメイク版「死霊のはらわた」も、要はオリジナルの偉大さに観る側が眩まされてるのだ。
で、極力オリジナルの威光を除外して観ようとすれば、なんだ、案外普通のスラッシャー、スプラッターだよね、という感想になりはする。
それでいいんじゃないだろうか。

オリジナルへのリスペクトがあって、作る側も観る側もそれなりに精魂傾けてリメイクや続編に臨むのだろうけども、これが枷のように感じられてならない。
最近の作り手は、それに観る側も、みんな一様に真面目で、それはそれで褒められるべきかも知れないが、なんか退屈な面も…
もっといい加減な愛情表現、オリジナルに泥を塗るようなリスペクト、なんかがあってもいいのに…

ところで「飛び出す悪魔のいけにえ」とリメイク版「死霊のはらわた」とを並べた時に、どちらが面白かったかというと、ラストの方のゴア描写に監督のエネルギーを感じられた「死霊のはらわた」を推したい。

今、ふと思いついたけど、こういう話なら、「エルム街の悪夢」や「13日の金曜日」のリメイクにも触れなきゃいけなかったかな?
とするとマイケル・ベイにも言及しなくちゃいけないのか。
う〜ん。

終わり