船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

アンドレアス・グルスキー展に行った~反復、マクロ的、絵画的~サイケでクール!?

アンドレアス・グルスキーという名を今まで聞いたことがなかったのだけども、おそらくきっかけはTwitterだったかと思うが、国立新美術館で展覧会が行われてると、その情報だけでは惹かれもしないので、作品の写真も展覧会情報と一緒に観てるはずであるが、いや、まず間違いなく観てるのだけども、もうはっきりとは覚えてない。

チラシのビジュアルに使われてるカミオカンデ内部の金キラ写真だったろうか、「99セント」と題された、日本でいうとこの100円ショップみたいな店の商品陳列棚を撮影した写真だったろうか、多分後者だろう、"郊外"のイメージ、そしてマクロ視点、そんなとこに惹かれたのだ。
で、国立新美術館へ、金曜は20時まで開館してるというので、仕事終わりに駆け込む。
駆け込んだものの閉館まであと30分程度、急ぎ足で観ないとならない。
 
まず、作品の大きさに驚く。
サイズを適当に言い表す言葉を知らないので、畳で2畳から4畳くらいの大きさはあったろうか?
アジアの工場の内部やパリのアパートなどが平面的に、絵画のように捉えられている。規則的に並んだ工場のライン(機械?)、アパートの窓、反復のイメージ。人の営みや生活が型にはまった、既製のもののように見えてくる。
北朝鮮のマスゲームをモチーフにした作品もそう。
しかし、そうした社会派的なメッセージを受けるより前に、マクロな視点で整然とした、または反復された被写体を観るのが楽しい。
どうやらこれらの多くはデジタル処理されてるのらしい。なるほど。この非現実的な感じは(しかし被写体そのものは現実を切り取っている)、そのためなのかしら。
 
ライン川を被写体にした「RhineⅡ」という作品は、ちょうど今、ブログを書くにあたって検索したところ、2011年のクリスティーズというオークションで、写真作品としては史上最高額の430万ドル(約3億3300万円)で落札された、というのを知る。
なるほど、それで出口のこじんまりとしたミュージアムショップ(?)スペースにこの作品のポストカードが大量に売られていたのか、と。
僕はこの展覧会でアンドレアス・グルスキーを初めて知るに及んだけれども、どうやらすでにアート界隈ではかなりの大物なのであった。
 
写真作品なんだけども、どこか写真らしくない。
デジタル加工している、という後付けの知識が、写真として見せないようなフィルターをかけてしまった気もするが、しかし、タイのバンコクを流れる川面を捉えた作品は、光の照り返しや浮いたゴミや油などがまるで抽象画のように見える。絵画的。
 
写真作品というと、素朴に、スナップ写真的なものしか受け付けないようなとこがあって、これってなんだか自然主義文学や私小説にしか文学を感じられない感性と似てるなあ、と。
撮影した写真に加工・編集をして新たなイメージを作り出す、これだって立派なアートであり、表現方法ではないか。
そんな風なことを考えながら、写真に対する感じ方を自分のなかで更新したり。
 
あと、マクロで捉えられてるんだけども、じーっと観てると、ミクロなものにズームアップしてるようにも見えてくる。銀河系からズームバックして原子へ、という。
 
最初に抱いていたイメージとは、また、だいぶ違った、非常にスケールの大きな作品群であった。
カタログをペラペラめくっても、ピンとこない。これは生で鑑賞することで、色々と考えさせられる。
Googleで検索しても有名どこの作品はある程度観られるが、これで興味が湧いたのなら、生で鑑賞するのがいいと思う。

アンドレアス・グルスキー - Google 検索

 

9/16まで開催しているようです。

ANDREAS GURSKY | アンドレアス・グルスキー展 | 東京展 : 2013.07.03-09.16 / 国立新美術館 | 大阪展 : 2014.02.01-05.11 / 国立国際美術館

 

NAVERにまとめもあった。

【史上最高額の写真家】アンドレアス・グルスキー【画像集】 - NAVER まとめ

 

まとめ見てて思い出したけども、会場の前半の方は割と工場や証券所、建造物をモチーフにした作品が多くて(気のせいかな?)、これらを観てフレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーを思い出したりしたのだけども、後半は北朝鮮のマスゲームに顕著なようにサイケデリックなイメージが強かった。でも不思議と全体を通してみるとクールなんだよな。

ドキュメンタリーな視点は常にあるんだけども、そこで捉えたものの効果をより高めるために過剰な(≒サイケデリック)、しかし抑制された(≒クール)加工・編集を施してる。

うっかり「ドイツ的な」とか言ってしまいそうになるのは、まだ控えておこう。