船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

「船橋」なのでフナッシー〜ゆるキャラの恥じらい〜ゆるさは人の心の弱さに宿る

ブログタイトルに「船橋」と冠しているので、先日、百貨店協会が主催した「ご当地キャラ総選挙」で優勝したフナッシーについて一言しておかないといけない気もするのだが、それほど大したことも言えそうにない。


市の非公認キャラが、飛んだり跳ねたり破竹の勢いで全国区に躍り出たかと思ったら、あっという間にくまもんと肩を並べる人気者に。
船橋市は遅ればせながらの対抗馬、というわけでもないだろうが、ふなばし産品ブランドPRキャラクターとして船えもんを立てるも、はじめからフナッシーを喰うつもりもないらしく、「ご当地キャラ総選挙」で優勝したフナッシーに殊勝にも祝辞を述べる。


フナッシーが元気なのは嫌いではないし、いかにも役所が考えたような健全さ漂う船えもんの律儀そうな笑顔も嫌いではない。

でも、待てよ、段々気が付いてきたのだけども、フナッシーに一言といっても、フナッシーのことを、そもそもゆるキャラのこともあまり考えたことなかったし、まあ、どうでもいい部類だった。
それでもTwitterでフナッシーをフォローし、たまに梨汁を浴びせられているわけだ。

どうでもいいついでに、梨というと船橋より隣の白井市の方が名産地という気がしている。梨街道があるのは鎌ケ谷市じゃなかったか?道路沿いに梨園と販売所が軒を連ねている。

ゆるキャラを命名したのはみうらじゅんだが、行政や役所がPRのために作った素人くさいキャラを、「ゆるキャラ」という新しいカテゴリーにまとめてしまったのは、素晴らしい慧眼だな、と改めて。
「ださキャラ」などと名付けなかったところに愛情がある。
ゆるい、キャラクター、これが癒しを求める現代日本人の心に浸透していくのには時間はかからない。
それでも、みうらじゅんが「SPA!」の連載でゆるキャラを取り上げた当初は、取材を拒否されることもあったのらしい(Wikipedia)。
ゆるキャラなどとバカにして、こちらは本気だ、などという思いがあったのかもしれない。
それが今は、おそらく、どこの自治体でも、どんなイベントでも、「うちでもゆるキャラ作ろう」などと一度は考えるような時代になっている。
それどころかフナッシーは勝手にゆるキャラ始めてしまったのだし。
そうか、フナッシーの面白さは自営のとこなのか。
近々小学生が将来の夢に「ゆるキャラになりたい」などと言い出すことだろう。いや、もう言ってるのかもしれない。

ゆるキャラは、多分、ゆるキャラ側の「何だかこんな感じにできちゃった」という隙のある出来栄えへの恥じらい、と観る側がそれに対して寛大な心を持つことで、お互いに持ちつ持たれつ成り立ってるものなんじゃないか。
ゆるキャラのゆるさをいかに許すか、で人々は自分の心の広さを感じて、なんとなく「ゆったりしてるなあ」と勝手に癒される。
ゆるキャラには隙があるが故に、そしてそのことに恥じらいがあるが故に、人々に親近感と癒しを与え、そこに乗じて本来売り込むべき商品や自治体をアピールする。とか。

でもフナッシーには恥じらいがないね。
あの突き抜けた感じが新鮮。

ゆるさは狙ってなかなかできるもんではない。
意見の合わない人たちが寄り集まって、どこかで妥協して完成してしまったゆるさ。
そもそもそんなに好きではないのに取り組まざるを得ない状況で、プロフェッショナルな意識がどっかで途切れて完成してしまったゆるさ。
ゆるさには人の心の弱さが宿る。

うーん、人は自分よりも弱い部分を持っている人やものに癒されてしまうんだなあ、これは日本人の心性なのかしら?

終わり