船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

たまには新書を〜「宇宙は何でできているのか」「世界は分けてもわからない」「ハリウッド100年史講義」

小説や映画関連でなく、たまにはあまり読まないジャンルの本を読んでみたくなる。積ん読になっていた中からまず目に止まったのが村山斉「宇宙は何でできているのか」。

 

宇宙は何でできているのか (幻冬舎新書)

宇宙は何でできているのか (幻冬舎新書)

 

 

 
父親が元生物の教師のくせに、理系はからきしダメで、それでも漠然と、もしくはロマンチックに"宇宙"への憧憬のようなものを持っていたりする。
かえってよくわからないがゆえに、想像の余地があったりするわけだ。
この世の苦しさや辛さを相対化するのに、宇宙ってやつはまったく便利である。
「宇宙の広さに比べれば…」という、あれ。
 
 
本書は中央公論社の主催する新書大賞で2011年の第一位を堂々飾っている。し、実際かなり話題にもなっていた、と記憶している。
なるほど確かにヒットも頷ける平易な文章で、丁寧に、宇宙に関する最新の知見が綴られている。
空を見上げるよりも、むしろうつむいてミクロの世界を探求していく(素粒子物理学)ことから宇宙を構成しているもの、さらに宇宙の始原へと迫る。
知的好奇心を刺激されながらも、「宇宙の謎など絶対に解明されないで欲しい」とも願う。
 
 
ミクロの世界にどんなに分けいろうとも、この世界がどのようにできているかなんてわからないのでは?といったタイトルの福岡伸一「世界は分けてもわからない」。これも長いこと積ん読になってたんだけども、びっくりするくらいに面白い。

 

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

 

 

 
ポピュラーサイエンス本なんて侮るなかれ。前半のいくつかのエピソードが、後半のミステリ小説のようなデータ捏造事件を通して全て繋がり、人が世界に対して抱く飽くなき探究心、しかしその眼差しは真実を見通すのでなく、見たいものを見るようにできている(らしい)というね、陥穽。
私たちは見ようと思うものしか見ることができない。そして見たと思っていることも、ある意味ですべてが空目なのである。 p163
 
 
といって決して斜めからのシニカルな科学批評、人間観ではなくて、「でもやるんだよ」(根本敬)の精神を感じる。
なんだかやけに感動してしまった。
まったくの蛇足だけども、福岡伸一は前述の新書大賞では常連。第一回の2008年大賞を「生物と無生物のあいだ」で受賞している。
とにかく文章がうまい。
 
 
新書というと専門的な学問を噛み砕いた読みやすいものという印象だったけども、ちょっと調べてみたら、そういうのは教養新書と言って、新書の中の1ジャンルだという、へー、なるほど知らなかった。
新書というのはあのサイズのものを指すので、キオスクで売ってる西村京太郎のミステリとか(新書ノベルス)、最近ではライトノベルなんかも新書。そうなのか。
 
 
北野圭介「ハリウッド100年史講義」は再読。

 

ハリウッド100年史講義―夢の工場から夢の王国へ (平凡社新書)

ハリウッド100年史講義―夢の工場から夢の王国へ (平凡社新書)

 

 

 
前はザッと読んでしまったような感じだったけど、今回は最近関心のある1920年代から50年代あたりを拾って読む。
その時代のヒット作、スター俳優、重要な監督、人気のジャンル、製作会社の動向など大まかにわかるので便利。
こういう通史もの?というのか知らないけども、ざっくり見通せるのって楽しい。
「世界は分けてもわからない」から言葉を借りてくれば、自分は典型的なマップラバーなのだな、と…