船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

リンクレイターの「ビフォア・サンライズ」3部作のこと

前作から9年、一作目からは18年が経過して今年日本でも公開されたリチャード・リンクレイター監督「ビフォア・ミッドナイト」。
作中の2人(ジェシーセリーヌ)と同年代であるからか、身につまされるとこもあったりして、ロマンチックでばかりもいられない中年の男女の恋、とはそろそろ呼べない関係を繊細に描いてて、素晴らしい作品であった。


で、せっかくなので前2作も見返してみる。
1995年製作「ビフォア・サンライズ」。日本公開時は「恋人までの距離(ディスタンス)」というタイトルでした。
これ、久し振りに観たら、ジェシー演じるイーサン・ホークも、セリーヌ演じるジュリー・デルピーも、まあ若い。
バタイユを読むフランス女とクラウス・キンスキーの自伝を読むアメリカ男が、列車で出会い、ウィーンの街をぶらぶらと翌朝まで過ごす。

少しずつ互いに探りを入れながら、下手なことは言わないように、でもさりげなくカッコイイとこも見せたい、そういう出会ったばかりの男女の打算を初々しく演出して見せる。
時の移ろいとともに次第に惹かれあっていくジェシーセリーヌ
2人を盛り立てる道具立て、占い師や詩人、遊園地なども適度にロマンチックでグッとくる。
街も人も彼らの出会いを祝福してくれてるようなのだ。
この時、この場所でたまたま起こった奇跡を、地上レベルでさらりと描いた至福のラブストーリー。
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2004年製作「ビフォア・サンセット」は、ジェシーセリーヌが9年後パリで再会するところから始まる。
2人は結局前作で半年後の再会を約束したが会えずにいた。作家になったジェシーが、新作のプロモーションでパリの書店を訪れると、そこに現れたのはセリーヌジェシーが発つまでの短い滞在時間、2人はまた街を歩いて語らい過ごす。


ジェシーがあまりに老けこんでしまい、一体この9年に何があったのか、と思う。
ビフォア・ミッドナイト」よりも老けて見えるのは気のせいか?
前作ほどロマンチックなムードはなく、9年振りの再会も、静かに受け入れる大人の2人。
お互いの仕事のこと、9年の間に起こったこと、環境問題など当たり障りない話題から次第に別れの時間が迫るに連れて、秘めていた恋心を抑えきれなくなってくる。
それでもギリギリ感情的に爆発する手前で踏みとどまるところは、やはり大人。
こうした現実味のある展開は、主演の2人と監督、脚本家らとがいかに密なセッションをしたか、そしていかにジェシーセリーヌに愛着を持っていたかが伝わってくるよう。
ラスト、セリーヌが住むアパートの階段を無言で上る2人の間の空気感がなんともいえない。
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と、こう再見してみて、「ビフォア・ミッドナイト」のことをあらためて思い返す。再会からさらに9年後、念願かなっていっしょになったはずの2人は口論ばかり。
ちょっとした軽口や意地、価値観の違いが、可愛げある時期はとうに過ぎ去って、2人で歩む道の障害となる。
「〜・サンセット」の大人な2人から、どことなく醜い中年になってしまった。
ジュリー・デルピーの肉体の締まりのなさったら!
けれども最後はジェシーが持ち前の少年っぽさを発揮して、まるく収まる。
最後は2人が運命の恋人たちであったことを、ちょっとマンガチックだけども、そこは裏切らずに示す。
それでいいんじゃないか。


2人を演じた俳優の肉体に刻まれた時間が、実際の時間とフィクションの時間とを繋ぎ合わせる。
単なるラブストーリーの枠を越えて、ロマンチックに始まった恋の行方を見届けたドキュメンタリーのようでもある。