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船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

「ザ・ビューティフル」展を観てきた〜唯美主義者が唱えた新たな美の基準って?

アート
ゴールデンウィーク、会期終了間近の「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860-1900」展を観に三菱一号館美術館へ行ってきた。


なんの予備知識もなく、ただポスターの美しさ、特に「ザ・ビューティフル」のタイポグラフィの美しさに惹かれて。
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唯美主義とは耳慣れない。
webで検索するとむしろ耽美主義という名の方が一般的。
耽美というと、デカダンな、なにやら退廃的な、世紀末的な匂いが漂う。
そのイメージを嫌っての、あえての唯美だろうか?
「唯、美しく」。


宗教や歴史に材をとった絵画だけが芸術であるという権威に歯向かって、自分たちが真に美しいと感じるものを表現していこう。
というのが唯美主義だと乱暴に理解する。
いつの時代もこういうパンクな態度が芸術を更新していくのだろう。


私の関心は、アカデミズムを否定して新たな美の観念を打ち立てようとした唯美主義が、世紀を超えてさらなる新しい価値観=モダニズムへとどのように連絡しているのか?していたのか?ということ。


正直唯美主義に括られる作品そのものにはあまりピンとこなかった。
芸術が王侯貴族から市民のものになってきたといっても結局はブルジョワジーのものだったのだろうし、唯美主義者が「美しい」と崇めたのが女性というのもちょっとつまらない。
美の基準というのは時代によって変わるだろうから、まあ、当時どんなに衝撃的だったにしても、今見ると陳腐な感じがしてしまう。女性は美しい、というその主張が。
芸術家って女たらしなのね、という俗な結論に引き下ろして勝手に溜飲を下げたり。


展示の中で唯一ぐっときたのは、ジェームズ・マクニール・ホイッスラー。
「黒と金色のノクターン 落下する花火」、これには目を奪われた。


しかし絵画は、いやあらゆる表現は、もちろんテーマや技法も重要だろうが、それよりもずっとその作者が何をどのように観ているのか、その観察力・洞察力にこそ驚嘆する。
というのをあらためて感じた。