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船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

「フランシス・ハ」を観た〜可愛らしい現代の寓話

肩の力を抜いて観られるオフビートな青春ドラマ。

ドラマというより日々のスケッチという感じ。

でもラストは観客にちょっぴり元気を与えるようなカタルシスもある。

それもささやかなので、全体的に可愛らしい作品。

 

 

ライフ・アクアティック」や「ファンタスティック・Mr.FOX」でウェス・アンダーソンと共同で脚本を担当したノア・バームバック監督作品。

ユーロスペースにて鑑賞。


映画『フランシス・ハ』予告編 - YouTube

 

 

27歳のフランシスはダンサーを夢見るがなかなか芽が出ない。親友のソフィーとルームシェアして楽しく暮らしているが、突然ソフィーは憧れの場所に住めることになったと言って部屋を出て行ってしまう。

部屋を出て行ってしまうとソフィーは彼氏とばかり付き合うようになり、フランシスとはあまり会わなくなってしまう。

取り残されたフランシスは友人の家を転々としながら、ソフィーに対して嫉妬心を起こしたり、ダンサーとして職を得ようと奮闘したりするが、どうも世間とはちょっぴりずれていて空回り気味。

といったあるようなないような話を、いくつものエピソードで綴る。

 

 

「ブライズ・メイズ」や「ヤング≒アダルト」に対するニューヨークインディーズ的返答といった趣。

世間から大人の女として見られるような年になって、長過ぎたモラトリアムからそろそろ抜け出さなければいけない。でも、まだ結婚だとか、社会に対する責任だとかそんなの自分には無縁!と思ってるんだけど、そうとも言ってられない状況がじわじわ迫ってくる。

夢見がちなアラサー女子ばかりでなく、なんとなくまともに就職して、家庭持って、という人生設計に疑問を感じる人には、おそらく共感できる部分があるだろう。



本作が可愛らしい作品であるポイントは、僕が考えるに2点ある。

まず、フランシスの造形が非常によくできてる。

彼氏のことはあっさり切り捨てられるのに親友のソフィーには未練たらたらだったり(ゲイっぽい雰囲気は微かにある)、いつまでもダンスカンパニーの研修生どまりなのに自信だけは過剰だったり、社交の場では空気が読めずにひとり饒舌に馬鹿な話をしたり、といったちょっとずれた感じ、「ああ、こういうタイプの人いるいる」と言いたくなる。

このフランシスの魅力だけでこの作品はほとんど持ってるとも言える。



で、これ、カラー作品でなくてモノクロなのがポイントで、ここまで現実にいそうなキャラを作り込みながら、モノクロで撮られてるがために、どこか作品全体に寓話のような印象を与える。

カラーで撮られてたら、も少し痛々しさがあったかもしれない。

現実と寓話との絶妙なバランス、これが可愛らしいポイントの①。



次に、この作品の面白いとこは、フランシスはダンサー志望なのに、まともにダンスするシーンがまるでない。

印象的なのはフランシスがニューヨークの街を走る姿。

で、これが横から撮られている。

画面に向かって走ってきたり、またその逆に画面の奥へ走っていく、という撮られ方ではない。

つまりなにかに向かって、この作品に即して言うなら、ダンサーになるという夢に向かって走る、という感じではなく、あっちこっち模索しながら横へ移動してる、という感じの走りなのである

(インサートされるテロップも番地名だったりする)。

で、決して見苦しくもがくような走りでなく、軽やかに「あっちがダメなら、じゃあこっち」といった走り。

これが可愛らしくしているポイントの②。



※この先ネタバレがあります。

ラスト、フランシスは身の丈に見合ったささやかな成功を得て(「エド・ウッド」のラストみたいな)、彼女の軽やかなもがきが報われる。

ここには爽やかなカタルシスがある。

で、タイトルの「・ハ」の意味が明らかにされる。

引越し先の郵便受けに自分の名前を貼り出そうとしたら、手書きした名前が大き過ぎて「フランシス・ハ」で切れてしまう。

これを僕はこう読み解く。

自分という人間は、例えば55×91ミリの名刺の中に名前から仕事から資格から全てが表現されてるものではない。

そこからはみ出してしまう部分が必ず誰しもある。

郵便受けに名前が収まらないというのも同様。

だから多少世間とはずれてても、世間からはみ出してても、自分は自分でやってけばいいじゃない。

というメッセージなんだろう。



ちょっとくさすぎる気がしないでもないが。

このメッセージも含めて、やっぱりどこか寓話めいてはいる。