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船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

台風18号、DOMMUNE浸水からちょっと考えた被災とアートの関係

台風18号は各地で河川の氾濫を招き大きな被害をもたらしました。
鬼怒川の堤防が決壊して住宅地へ濁流が流れ込む映像を見ると、かの震災の津波による被害を想起させ、ゾッとする。


幸いぼくの近辺では大きな被害はなかったのですが。


渋谷のDOMMUNEのスタジオでも、なんでも隣接するビルとの隙間に溜まった雨水が、排気口のダクトから流れ込み機材などが浸水する被害があったようです。
DOMMUNE最近は全然視聴してなかったのですが、今回の浸水被害について、主催宇川直宏からの「水没を心配して下さった 親愛なるDOMMUNEビューワー」と題された文面を読みました。


ぼくには熱いDOMMUNE愛はなく、この文面が深々と胸に刺さるというようなことはなかったのですが(それならわざわざ取り上げるのは申し訳ないとも思います)、一点興味深い箇所がありました。
僕、宇川直宏は、幼少の頃から中学生にかけて、床上浸水を3度も体験し、その強烈な被災体験を血肉化すべく、人知の及ばない強大な自然の力について、自らの美術作品を通じて考え続けてきました。
ここを読んで、ああ、そうか、アートというのはこうした負の体験をいかにポジティブに捉え直すか、という作業(表現)であるんだなあ、と。
アートに限らずあらゆる表現行為って、それをどういう表現方法で見せるかというのにはテクニックが必要だとしても、根っこは自身の負の体験、負の感情に端を発しているんだな。


被災体験は被災者にとっては圧倒的に負の体験だけども、人にはそれをバネにしてポジティブに捉え直す力がある。
それがアートなんじゃないか。
少なくともアートの一側面じゃないか?
当たり前のこと言ってますか?


台風18号の被害は大きかったかもしれないけども、そこからまた何か新たな創造の芽が吹くかもしれない。
そんなことを期待したりもするのです。


などと9.11の今日、ふと思いました。
(9.11は人災ですけども)


宇川直宏は最後にこう付け加えます。
撮影行為、配信行為、記録行為を、自らの"現在美術"作品と位置づけ、このスタジオでの軟禁遊戯を、パフォーミングアートと捉えている僕の個人的な感情としては"昨夜の大浸水こそ、ストリーミングしたかった"!!!!!!!! 
浸水現場をストリーミング配信!
それは報道なのか?アートなのか?
そういう方面に進むと、厳密な言葉を使えないぼくには及ばない領域です。
ただ、なんとなくその無念はわかる気がする。
ぼくも浸水現場のストリーミング配信なら観たかった!


以上でした。