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船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

余り物を寄せ集めて「なんとかする」料理の話

日常

土日は料理をすることが多いのですが、といって趣味の料理ではなく、純粋に生活に必要な食事をつくる料理です。

ぼくは料理は嫌いじゃないですが、積極的にはやりませんし、スパイスを何種類も買い込んで半日以上も煮込んだりするようなカレーとかのいわゆる男の料理というのは一切興味ありません。

出汁なんかにしても、和風ならだしパック、洋風なら顆粒コンソメ、中華風なら香味ペースト、と、もう大体この3つに頼ってる。

あとは冷蔵庫やらに残っているものを適当にあわせてつくる。

 

 

一応食事の型として、ご飯、汁もの、主菜、副菜、お新香というのを念頭に置いている。いわゆる一汁三菜というやつですよね。こういうところは保守的です。

あと、一食のなかで7品目くらい摂れるのがよい、というのを以前どこかで覚え、これも意識はしている。

と、書くとさぞかし立派な食事を作っているかと思われそうですが、そうでもないです。

汁ものはたいていご飯をセットしたら次に用意し始めますが、だしパックで出汁取ったら、豆腐と油揚げを切って入れて、味噌といておしまい。

副菜はほうれん草茹でて、おひたしにする。

あと主菜は豚肉と玉ねぎを酒、しょうゆ、みりんで甘辛く炒める。

きゅうりのお新香かキムチでもいっしょに食卓に並べればOK。

白米、豆腐、油揚げ、(味噌)、ほうれん草、豚肉、玉ねぎ、きゅうり。大体7品目にはなる。

そんな感じです。

ただ、これは夕食を作る場合。

朝食、昼食はここまでしない。

 

 

という前振りで、さて、昨日も夕食をつくることになりました。

ところが冷蔵庫の中がほとんど空で、肉も魚もない。

主菜というとやっぱり肉か魚になるんだけれども、というか肉か魚がないと一汁三菜の夕食の献立がバシッと決まらない。

子どもは特に肉も魚も(とりわけ肉)ない食事なんて味気なく感じる。

どうしようかな、と。

買い物に行くという選択もあります。でも、翌日の午前中はスーパーが10%引きなので、買い物は翌日にまとめたい。

出前を取る、外食に行くという選択もあります。でも、余計な出費は抑えたい。

 

 

ほとんど空といったって何もないわけではない。

土曜日の夕食にしてはしょぼい、と子どもに思われても、まあ、これがうちの現実ということで飲みこんでもらおう。

と、こういう状況でつくる料理っていうのが意外と楽しかったりする。

 

 

全然話が逸れますが、いくら金がかかろうとも自分のビジョンに従って、一切妥協せず完璧に実現させるタイプの映画監督がいますよね、黒沢明とか、今ならクリストファー・ノーランでしょうか、それとは逆に、製作費もテーマもキャストも撮影日数も限られた中で自分なりの表現を絞り出すタイプの監督もいます。

ぼくは映画監督になりたかった人間ですが、恐らく後者のタイプだったろうな、と料理をする時にいつも思ってしまうのです。

まあ、「自分なりの表現」を出すのだって誰にでもできるわけではないですから、決して後者のタイプで成功しただろうとは口が裂けても言えません。

 

 

閑話休題

で、結局何を作ったかというと、ブロッコリーを茹で、茹で卵を作り、冷凍のさつまいもスティックをオーブンで焼き、これらを温野菜サラダみたいな感じで一皿に盛り付け、既製のシーザードレッシングをかける。

ラクレットチーズという洒落たものが少し余っていたので、じゃがいもをレンジでまるごと温め、そこへ刻んだラクレットチーズをのせてさらにレンジで温め溶かす。これでもう1品完成。

汁ものは、余ってたえのきと乾燥わかめのコンソメスープ。もちろん顆粒コンソメを使う。

ご飯は、チューブ入りのにんにくとバターを使ってガリバタライス。これなら肉、魚がなくても子どもはご飯が食べられるだろう、と。

 

 

余り物を寄せ集めてもそれなりに「なんとかなる」。

いや、「なんとかする」のが料理のちょっと楽しいとこでしょうかね。

それに、こういう食事の方がなんか好きだったりする。

という話でした。