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船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

立石清という無名の画家から自分のルーツの一端に触れる、という話

日常 アート

先日実家へ帰った際に、といっても歩いて2、3分の距離ですが、かつて自分の部屋として使っていていまや物置と化している部屋で、とある画集を見つけました。

立石清という人の画集です。
人物や風景の油彩または水彩のスケッチ中心で十数点くらい載っていました。
絵はどれも、たいしてうまいとも、味があるとも思えなかったのですけども、その主張のなさが素朴な感じではありました。
 
 
立石清という画家は多分無名だと思います。
というのも画家というより教職が本職で一時期は小学校の校長も務めていたらしい。絵描きとして食べてはいなかったようです。おそらく日曜画家みたいなものでしょう。
さらに言えば、この画集は遺作集であり最初で最後の画集。
これを編纂したのは彼の親戚や友人などごく身近な人たち。
アマチュアの日曜画家であった立石清を偲んで編まれた画集なのです。
 
 
で、なぜそんな画集が実家にあったかというと、立石清はぼくの血縁関係にあるんですね。
父方の祖母(102歳で亡くなりました)の兄弟にあたります。
兄か弟かはわからないです。
そういえば小学生くらいの頃に、親戚で絵を描いてる人がいる、という話を親から聞いたことがあります。
確か彼の絵が一枚、父親の部屋に飾られていたような記憶もおぼろげながら浮かんできます。
画集の奥付けを見ると、ちょうどぼくが10歳前後の頃に出版(?)されているので、ああ、そうか、亡くなってから親戚らが遺作集を作って、この遺作集と絵を父親がもらったか買ったかしたんだろうな、と思い至りました。
 
 
最初に書いたように、絵自体にはそれほど魅力を感じなかったのですが、なにか、こう自分のルーツの一端に触れるような面白さはあります。
 
 
アマチュア画家といっても、どこかの絵画サークルに所属していたようで、肩書きはそれなりに立派そうな方々から文が寄せられてます。
その中に気になる箇所がありました。
 
 

 

高校生の娘が立石清の勤める学校に通っていたという友人による前書きで紹介されているエピソードに、彼が娘に「あの先生(立石清)は好い人だろう?」と訊ねたところ、娘は「そうネ、でも一寸気味が悪くって」というような応えをしたというのです。
子供のような純情の持主で、ご婦人が好きだったという立石清の人柄を伝えるエピソードのつもりだったのかもしれないが、「余程女生徒がお好きだったらしい」とまであると、遺作集に寄せる文章として適当だったのだろうか?
親族はこれを読んで微笑ましいと思ったのだろうか?
などと思ってしまいます。まあ、ぼくはとても面白かったですけど。 *1
このエピソードを読んでから女性の彼の描いた人物画を観ると、なんだかいろいろ想像が膨らみます。
しかも本職は教師ですからね。
 
 
立石清はほんとに無名の画家(ですらない)だったのですが、彼の曾祖父にあたる立石清重という人は長野県松本市にある旧開智学校を設計した人物として名を残しています。
そういえばこの話も昔聞いたことがあったような気がします。
家族旅行で実際に訪れたことがあるような記憶が薄っすら蘇ってきます。
 
 
ぼくは親に先祖の話とか興味があっても聞いたことがないのですが、今度機会があれば聞いてみようかな、と思いました。
以上です。
 
 

*1:「高校生の娘が~面白かったですけど」の部分11/21改稿しました

*2:11/21絵を追加しました