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船橋リズムセンター

「野に在って野に下らず、俗に在って俗に流されず」。こだわりなし、怒りなし、浅く、ぶれつつ、無着陸、、、

タクシーのラジオからWけんじの漫才が聞こえてきたので

昨日が仕事初めだったのですが、さっそく終電に間に合わずタクシーでの帰宅となりました。
今月は忙しいのでまだまだこんな日が続きそうです。


ラジオからWけんじ

風邪気味でぼんやりとしてたところ、タクシーでかかってたラジオからWけんじの漫才が流れてきました。
ツッコミの宮城けんじのダミ声が聞き取りづらくてあんまり内容がわからなかったのですが、なんとなく気になってYouTubeで検索して漫才を見てみました。


これが、失礼ですけども、結構面白い。
ボケとツッコミの役割はもちろんあるんですけども、緩やかに、もしくは軽やかにその境界を越えていく運びはまさに名人芸と言いたくなるものを感じます。
こういう作り込み過ぎない自然体の漫才って難しいんだろうなとは思います。
今の漫才師だと中川家くらいしかこの域に達しているコンビはいないんじゃないだろうか?


YouTubeで見たのは、全盛期を過ぎての演芸番組での漫才のようで、比較的テンポはゆっくりでしたが、wikipediaでプロフィールを見ると、アップテンポを売りにしたコンビであったとのこと。
最近の漫才がどれもテンポが早くて、矢継ぎ早にボケるのをよしとしてるから余計そう見えるのかもしれません。


オープンな漫才

Wけんじの漫才を見ていて思ったのは、非常にオープンだな、ということ。
観客を交えてネタを進めてます。
最近の漫才はだいたいボケとツッコミだけの閉じた関係の中でやり合っているように思います。
これは時代のせいなのか、それともぼくがテレビでしか漫才を見ていないからなのか、どちらなんだろう?
ライブではもっと観客に開かれた漫才を、今の漫才師もしているのかもしれない。


オープンな(観客に開かれた、観客に語りかけるような、という意味合いで用いてますが、正式な呼称があるかどうかはわかりません)漫才をする今の漫才師、というのをイメージした時、意外にもオードリーが最初に浮かんできました。
ツッコミの若林正恭が観客の方を向いて話しかけるようにして漫才が始まりますよね。
でもそう思ってYouTubeで少し漫才を見てみたら、中盤以降は割とボケの春日とじゃれ合うような形になっています。


ところでオードリーの漫才は面白い

それはそれとして、オードリーの漫才は面白いです。
若林が春日相手にツッコんだり、スカしたり、乗せたり、乗せられたり、一本調子にならずにいろんな手を使って春日と戯れる様が楽しいです。



という感じで特にどこにも着地しないまま終わります。